mokkô column
『 04. 職業訓練校木工科 A』
毎日、3本の地下鉄を乗り継いで訓練校へと通った。1時間半の通学時間は苦にならなかったけれど、これから受ける授業のことを考えると緊張せずにはいられなかった。すこしでもリラックスしようと、電車内ではいつも音楽を聴いていた。
職業訓練校の玄関のすぐ横には職員室があった。登校時には、応接用のソファに座って将棋を指している実技担当の先生の姿が見えた。ぼくら生徒が窓のすぐ外を通りかかっても、先生は顔を上げることもなく、常に盤の方に集中していた。
先生は、願書を出すことをぼくに勧めてくれた人だ。
クラスの担任で、木工科の夜間部主任でもある。60代半ばの職人上がりの人で、身のこなしが綺麗で、言葉使いがちょっと荒い。授業中でもしょっちゅう大きく口をあけてガハハと笑う。
そして、さっき将棋盤に向かっていた時の方がよっぽど真剣だっただろうと思うくらい、少し力を抜いて授業をする。決して不真面目というのではないけれど、木工指導に熱心な先生ではなかった。上手くできる生徒を特別に可愛がったりしない。やる気のある生徒をちょっとうっとおしいと思っているふしすらあった。
それでも、ぼくは先生のことをいい先生だなあと思っていた。すごく好きだった。
木工の腕は今思い返してみても確かで、解説をまじえてテンポ良く道具を操り、的確に加工方法を実演して見せてくれた。 知りたかったこと、興味あることが、目の前で手際よくきちんと実演してもらえるのは喜びだ。そしていつも、自分自身がその作業をきちんとこなすことが出来るかどうかプレッシャーを感じた。
初日の一時間目、一人一人が前に出て自己紹介をした。ほとんどの生徒がぼくより年上だった。すでに木工の仕事に就いている人が2,3人いた。親が木工の仕事をしているという人もいた。「木工が趣味で来ました」と言い切る人がいて嬉しかった。家具販売店を開きたいという人もいたし、海外ボランティア活動を行うための準備の一環として来ている人もいた。
不思議と最初から、教室には協力的でまとまった雰囲気があった。加工が複雑過ぎたり、説明が足りないと感じられる箇所があれば誰かが手を上げて質問をした。早めに教室に来た人たちは、あれこれと相談しながら前日の復習に余念がなかった。木工関係の展示会があれば誘い合って見に行ったし、安い道具屋などの情報も共有し合った。
みんながある程度の器用さを持ち、ある程度の予備知識をすでに持っていた。それぞれがきちんとした木工の技術を身につけたいと考えていた。あまり表には出ないが、競い合う気持ちももちろんあった。 ぼくを含めた生徒全体が発する熱のようなものは、跳ね返ってくるように、ぼく自身に影響した。もっとがんばらなくてはと思ったし、必要以上に上手く精密に作業を行いたいと考えるようになった。
そんな中で、担任の先生のまわりに漂う気楽さが何とも有難かった。先生は教室内に満ちた熱心さに対して無関心だった。授業の進め方は全体的に見れば確かに適当にやっているみたいだったけれど、求められたことにはちゃんと応えてくれた。生徒たちの生真面目な気持ちと上手く距離をおいていた。先生は明らかにロマンチックなものを木工に求めてはいなかった。
ぼくが先生を好きだった理由のひとつは、木工の難易に関する感覚、視点が安定していることだった。一般的な目で見て難しいことは「最初からうまく出来るほど簡単じゃねーぞ」と言った。それほど難しくないことに対しては「これくらいは、やりゃあ出来る」と言ってくれた。生徒を故意に脅かして底上げしようとしないところがとても良かった。
先生とは卒業してから一度も会っていないけれど、今でも鉋や鑿を持った瞬間に、先生の顔をふと思い浮かべることがある。細かな木工の作法を、教わったそのままになぞるように仕事をしている自分を通じて、先生のことを思い出す。
職業訓練校について詳しく知りたい方はこちらが参考になります。
『工房通信 悠悠 "木工技術専門校の案内"』
『離職・転職者のための職業訓練ひろば』
『旭川高等技術専門学院(旧旭川職業訓練校)』

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